ぽたぽたと滴下の音がはっきり聞こえるような勢いの鼻血が4時間程度。

止まらない鼻血を受け止めてくれたティッシュたちは、まる2箱分。
吸収しきれず、真っ赤。コンビニ袋がパンパンに膨れているくらいの大量。

あまりにも止まらないので、近くの耳鼻咽喉科に飛び込み、手当てしてもらって初めて止まるというアドベンチャーな体験をしました。

正直、このまま出血多量になって意識が遠のいてしまうのではないかと、恐怖しました。


耳鼻咽喉科に駆け込み、止まらない鼻血の手当てを始めてくれたドクター。
鼻の中をのぞいて、
「おお、これは!」と一言。
そして、続けて、私に投げた質問は、

「化学薬品を扱うような仕事してた??」

でした。

特に、かかりつけのドクターではなく、たまたま出先で鼻血が止まらなくなったので、出先のご近所の初めてお会いするドクター。私の今までの経緯をご存じのわけもないのに、出てきた質問がこれ。

わたしは、
「仕事ではしていませんが、30年以上も前の大学生の時、シックハウスの原因の”ホルムアルデヒド”の遊離量を接着剤から減らすのが卒論テーマで、ほぼ1年、毎日実験で当たっていました。」って、答えました。

「おお、それに違いない」
と、ドクターの反応。

「鼻の中を左右に仕切っている軟骨が溶けて大きな穴が開いてる。ふさげない大きさだよ。鼻の穴が中で左右つながってる。溶剤扱ってる人とか、こうなってる人いるけど。」

絶句する私に、立て続けにドクターは解説する。

「軟骨の中にある血管が露出してて、それから出血したんだよ。結構しっかりした血管だから、普通の鼻血みたいには止まらないよ!今日は、止めてあげられるけど、また出る恐れがあるから、気をつけてね」と、よく聞く「焼いてもらう」っていう処置をしてもらってなんとか止血完了。

「またなる」恐怖と戦う日々が始まりました。

30年以上も前の学生時代の実験で、漠然と「薬品にあたると体調が悪くなる」と感じていた私は、20歳そこそこで「化粧品も天敵だな」と感じ、「化粧品は使わない」選択をしてきました。
まだまだ保守的な1980年代、時代はバブルが始まり、過激なメイクをする人は増えて市民権を得てきても、仕事にノーメイクでいく私は、なかなか市民権は得られませんでした。職場の偉い人に「仕事なのに化粧もして来ない!」「男でネクタイしてこないのとおんなじだ!」と叱られるしまつでした。

「薬品アレルギーで、化粧などしたら反応が起きる。私に「死ね!」っていうのか!!」と、叫んで反論して何とかノーメイクを通してきました。ひたすら『変わり者』扱いされた20代でした。

結婚していた時も、お姑さんから、「うちの嫁は化粧もしない。身だしなみもろくに整えられない。」みたいな嫌味を言われたり、過敏症に対して「そんなわけないじゃん」などと言われたり……。結構、腹の立つ言葉に反論したり、我慢したりしてきたことが走馬灯のように思い出され、悔しさを反芻してしまいました。

学生時代で薬品類に違和感を感じて以来、避けるように生活しているので、元凶はそこしかない。
大学の実験で化学物質過敏症になるという、新築症候群とは違った経緯であることではあるけれど、間違いなく軟骨が溶けるほどのダメージを喰らっていたことが証明されてしまったわけです。

結構、ショックでした。

目に見えない薬品類を避けなければいけない日々に、「鼻血」を恐れる日々が追加された、今日の報告となりました。